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御正体山~石割山

御正体山~石割山
平成28年1月10日

コース:都留駅=タクシー=道坂隧道入口バス停~道坂峠~1217.2P(三角点)~岩下ノ丸1,303m三角点~白井平分岐~御正体山1,681m~前ノ岳~中ノ岳~奥ノ岳~石割山分岐~日向峰1,446m~石割山~石割神社~石割山登山口(赤い鳥居)=タクシー=富士山駅

1月としては近年には珍しく雪の無い木漏れ日のさす冬枯れの道を歩く。御正体山の山頂は樹林に覆われ展望は良くない。
石割山山頂は富士山の展望台で眺めがすばらしい。道坂峠から御正体山までの道と御正体山から石割山、石和山登山口までの道は一変する。御正体山までの道は石割山分岐から御正体山間の除きアップダウンの少ない綺麗な道である。
御正体山山頂


道坂隧道入口バス停御正体山・今倉山登山口
道坂隧道入口バス停前(御正体山登り口)

道坂峠(御正体山・今倉山方面分岐)
道坂峠(御正体山・今倉山方面分岐)

アップダウンの少ない道
鈴竹の中の山道

木々の間から富士山
木々の間より富士山

岩下ノ丸(1,303m)三角点
岩下ノ丸(三角点)(1,303m)

牧ノ沢山が見えて来た
牧ノ沢山が見える

牧ノ沢山
牧ノ沢山

マエダレノ頭
マエダレノ頭

白井平分岐
白井平分岐(坂の落合)

ここから御正体さんへ高度差300mの急登が始まる
御正体山への急坂がこれから始まる

御正体山山頂(皇太子登山記念板
御正体山山頂(皇太子登山記念板)

御正体山山頂にて
御正体山山頂

前ノ岳
前ノ岳(1,471m)

中ノ岳
中ノ岳(1,411m)

鉄塔から富士山
鉄塔から富士山

遠くに南アルプスが見える
遠くに南アルプスの山々

御正体山を振り返る
御正体山を振り返る

石割山分岐
石割山分岐

木々の間より山中湖と富士山が見えて来た
木の間より富士山と山中湖

鉄塔巡視路分岐
鉄塔巡視路分岐

石割山山頂
石割山山頂

石割山(山梨100名山)
石割山山頂(山梨百目山)

石割山山頂より富士山と山中湖
石割山から富士山と山中湖

石割山山頂より富士山と山中湖
石割山から富士山と山中湖

石割山より丹沢方面
石割山より丹沢方面

石割山より河口湖・黒岳方面
石割山より河口湖・黒岳方面

木々の間より富士山
木の間より夕暮れの富士山

石割神社
石割神社

御神体の大岩裂け目潜り
          
御神体の石の割れ目を潜り抜け御神体の石の割れ目を潜り抜け
御神体の石の割れ目を潜り抜け

富士見平
 ここから403段の階段を下る
富士見平

石割山登山口(赤い鳥居)
石割山登山口(赤い鳥居)

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仙元山~小倉城~嵐山渓谷~大平山

比企の城址めぐりと嵐山渓谷景勝
平成28年1月4日

28年度の初登りである。例年は神社かお寺に一年の安全祈願を行うのが通例であったが、今年は比企の戦国の城跡歴史巡りと嵐山渓谷の歩きからスタートした。

コース:小川町駅~見晴らしの丘公園~仙元山~青山城址~大日山~物見山~仙元山~小倉峠~小倉城址~嵐山渓谷屈曲河原~大平山~春日神社~県立嵐山史跡の博物館・管谷館址~嵐山駅

小倉城址にて

東武東上線「小川駅」
小川町駅(東武東上線)
見晴台登り口
見晴らしの丘公園登り口
蝋梅
蝋梅の花が咲いていた

見晴の丘公園展望台
                      見晴らしの丘公園展望台
見晴らしの丘公園は小川町の人たちの憩いの場所、遊園地、朝の散歩道
展望台からの眺め
展望台からの眺め(浅間山・榛名山・赤城連峰・日光男体山等が望めた)
仙元山山頂
仙元山山頂
青山城址 border=
青山城址にて
大日山
大日山
物見山
物見山(物見砦と間違い易い)
仙元山 仙元大日神碑
千元山
             こちらの仙元山のほうが地図に名前がないが千元大日神碑や
                               立派な石灯篭があり立派なだった。
仙元山 石灯篭
千元山山頂の石灯篭
小倉峠
小倉峠
小倉城跡入口
小倉城入口
小倉城本郭址
小倉城本郭址
小倉城址にて
小倉城址説明図
小倉城址説明版
嵐山渓谷
小倉城跡登り口に下山
小倉山城址入口に下りる
嵐山渓谷
嵐山渓谷
嵐山渓谷
    嵐山渓谷冬枯れの時期だったので見るべきものがなかった。春の桜の頃、秋の紅葉の頃は
                  見事だろうとおもう。

与謝野晶子の歌碑「槻の川赤柄の傘をさす松の立ち並びたる山のしののめ」
与謝野晶子の歌碑「比企の渓」
「槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち並びたる 山のしののめ」

歌碑の説明
歌碑と与謝野晶子の説明
小倉城跡登り口に下山
小倉城跡登り口
春日神社
春日神社
管谷館入口・県立嵐山史跡の博物館入口
県立嵐山史跡博物館・管谷館入口
畠山重忠と管谷館跡説明
畠山重忠と管谷館の説明板
 源 頼朝に仕え、鎌倉入りや富士川の戦いには先陣をつとめ、宇治川や一の谷の合戦ではかずかずの手柄を立てました。
 武蔵武士の代表的人物として信望を集め頼朝から厚く信頼されされていました。
 頼朝の死後も和田義盛らとともに、二代将軍源頼家を助けて政治に参与しましたが、北条氏に謀殺されました。42歳でした。
 鎌倉時代の史書「吾妻鏡」によると、元久二年(1205)6月19日、「鎌倉に異変あり」との急報に接した重忠は、わずか134騎の部下を率い「小衾郡管谷館」を出発し、同月22日、二俣川(現横浜市)で雲霞のごとき北条勢に囲まれ、部下と共に討たれたとあります。城郭の西には鎌倉に通じる街道跡が残されている。

プロフィール

llmmcc

Author:llmmcc
低い山を歩く会は1962年創設の山岳会です。
中高年を中心に、30代から70代まで幅広い年齢層の会員が、日帰りハイキングや夏山縦走、沢登りや岩トレ、雪山登山ま
で、オールラウンドに活動しています。
随時会員募集中です。

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