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新緑の雲取山~長沢背稜を歩く


新緑の雲取山・長沢背稜を歩

 天気に恵まれ、新緑の自然林、白樺と碧い空、咲き始めたばかりのアズマシャクナゲ、石尾根の上に鎮座する富士山を満喫し長い長沢背稜を歩く

長沢山
長沢背稜の名前となった「長 沢 山」

コース
平成27年5月10日(日)    鴨沢バス停~小袖乗越~堂所~ブナ坂~ヨモギの頭
                                       ~小雲取山~雲取山~雲取山荘
             5月11日(月)      雲取山荘~大ダワ~芋の木ドッケ~桂谷の頭~
                                       長沢山~水松山(あららぎやま)~行福のタオ~
                                        酉谷山~酉谷山避難小屋~七跳尾根~大栗山
                                        ~三ツドッケ(天目山)~一杯水避難小屋~東日原バス停
参加者 :16名(男9名、女7名)

鴨沢バス停(雲取山登山口)
鴨沢バス停(雲取山登山口)

ヒトリシズカ

ヒトリシズカ

マムシソウ

マムシソウ

ブナ坂経由と七ツ石山経由雲取山の分岐

ブナ坂経由と七ツ石経由雲取山の分岐

オカメノキ

オオカメノキ

ブナ坂

ブナ坂

石尾根とまだ花の残ってた桜の木

石尾根と桜の木

雲取奥多摩小屋

雲取奥多摩小屋

富田新道分岐(小雲取山)

富田新道(小雲取)分岐

避難小屋

避難小屋(丘の上)

雲取山山頂

雲取山山頂

雲取山山頂

雲取山山頂

三ツ山・飛龍山・前飛龍山

飛龍山

雲取山荘

雲取山荘

雲取山荘夕食
雲取山荘夕食

大ダワ
大ダワ

コバイケイソウ

コバイケイソウ

芋の木ドッケ

芋の木ドッケ

白 樺
白樺

イワウチワ

イワウチワ

アズマシャクナゲ
アズマシャクナゲ

アズマシャクナゲ

アズマシャクナゲ

長沢山

長沢山

水松山(あららぎ山)

水松山(あららぎやま)

ヘリポートと両神山、その奥に浅間山

ヘリポートと両神山、奥に浅間山

酉谷山山頂
酉谷山

酉谷山より石尾根の向こうに見える富士山

酉谷山より石尾根の向こうに富士山

大岳山と御前山

大岳山と御前山

酉谷山山頂
酉谷山頂

熊倉山への道

熊倉山への道

酉谷山避難小屋

酉谷山避難小屋

木道行く

木の橋を行く

名残りのアカヤシオ

名残りのアカヤシオ

雲取山(左)と芋ドッケ(右)

雲取山と芋の木ドッケ

蕎麦粒山

蕎麦粒山

三ツドッケ(天目山)

三ツドッケ(天目山)


一杯水避難小屋

IMG_0440_1.jpg

東日原バス停

東日原バス停
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2015.4.25 西上州の山「四ツ又山・鹿岳(かなだけ)

 西上州の山「四ツ又山・鹿岳(かなだけ

 天気に恵まれ西上州の山「四ツ又山・鹿岳」に登った。四ツ又山は下仁田富士とも呼ばれ又双耳峰の鹿岳はどこから見ても素晴らしかった。
 アカヤシオは今年は急に暖かくなったせいか、花が大分落ちていた。下りで叡山菫(エイザンスミレ)を見つけた。山頂からは岩の妙義山、荒船山等の西上州の山々や、雪の残る浅間山等がよく見えた。素晴らしい一日だった。鹿岳は鎖、ロープ、ハシゴと変化にとんだところだった。四ツ又山から見た鹿岳はあんなとこ登れるのかなぁといった感があったが、一の岳直下の急な斜面を捲き、鹿岳コルまで出ると意外に登りやすかった。二の岳の方が19段のハシゴ、階段状の岩の急斜面を鎖があり慎重を要した。

コース:高崎=下仁田=(タクシー)大久保集会所ー大天狗峠~四ツ又山~マメガタ峠~鹿岳コル     ~一の岳~鹿岳コル~二の岳~鹿岳コル~下高原登山口~大久保集会所=(タクシー)=下仁田
参加者:13名

四ツ又山山頂より鹿岳

四ツ又山山頂より鹿岳


鹿岳登り口

四ツ山登り口(大久保集落)


大天狗峠すぐ上の小さな大天狗像

大天狗峠へ左び少し進んだ所にある小さな大天狗の像 



四ツ又山山頂の石像

四ツ又山山頂の石像 


四ツ又山より鹿岳

四ツ又山山頂より鹿岳 


四ツ又山より妙義山

四ツ又山から妙義山 


四ツ又山より鹿岳・浅間山


四ツ又山山頂から鹿岳・浅間山 


マメガタ峠へ

マメガタ峠へ 


マメガタ峠へ

マメガタ峠へ 


途中より鹿岳


マメガタ峠への途中より鹿岳 

アカヤシオ

アカヤシオ 


マメガタ峠

マメガタ峠 


マメガタ峠より鹿岳

マメガタ峠より鹿岳 


一の岳直下の巻道

鹿岳直下の巻道 


一の岳直下の巻道


鹿岳直下の巻道 


鹿岳コル


鹿岳コル 


一の岳へ登り開始


一の岳登り開始 


一の岳の急斜面

一の岳の急斜面 

一の岳山頂の摩利支天の石碑

鹿岳一の岳山頂の摩利支天の石碑 


一の岳山頂


鹿岳一の岳山頂 


一の岳より二の岳を望む

一の岳より二の岳を望む 

アカヤシオ

アカヤシオ 


二の岳への19段のハシゴ


二の岳への19段のハシゴ 


二の岳の19段のハシゴ


二の岳への19段のハシゴ 


二の岳の階段状の岩の急斜面の鎖場


階段状の岩の急斜面の鎖場 


二の岳より一の岳・四ツ又山・遠くに稲含山


二の岳から一の岳と四ツ又山 


二の岳より浅間山


二の岳より浅間山 


二の岳より妙義山

二の岳より妙義山 


二の岳より荒船山
二の岳より荒船山 
二の岳より稲含山

二の岳山頂より稲含山 
二の岳山頂にて

二の岳山頂にて 

下山開始(一の岳登り口)

下山口(一の岳登り口) 

叡山菫(エイザンスミレ)


叡山菫(エイザンスミレ) 

叡山菫(エイザンスミレ)


叡山菫(エイザンスミレ) 

鹿岳登山口(下高原登山口)に下山


下山(下高原登山口)

2015.4.13 滋賀歴史の旅(2の3) 三井寺・近江神宮

2015.4.13  滋賀歴史の旅(2の3)三井寺(園城寺)・近江神宮

 2015.4.13 滋賀歴史の旅(2の3) 2の3の1 三井寺(園城寺



仁王門前
大門(重要文化財) 
仁王門(重要文化財)

 三井寺は7世紀に大友氏(古代)の氏寺として創建され、9世紀に唐から帰国した留学僧円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興された。円珍は弘仁5年(814年)讃岐国で生まれた。母は弘法大師の姪にあたる。比叡山での12年籠山修行中、大師一生の信仰を決定づける黄不動尊を感得された。これこそ今日も秘仏として伝わる国宝・黄不動尊(金色不動廟王画像)である。黄不動尊は通称「黄不動と呼ばれ、高野山明王院の「赤不動」、靑蓮院の「青不動」と共に日本三大不動の一つに数えらえれる。
 三井寺の起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇のこの大友皇子(弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱でで大友皇子と敵対していた天武天皇は朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。 琵琶湖疏水と共に桜の名所としても有名。(総本山園城寺 三井寺しおり、インタネット 園城寺ーWikipediaなど参照した)

琵琶湖疏水

 琵琶湖疏水とは、明治期に琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた水路である。国の史跡に指定されている。桜の名所でもある。今年の桜は急に暖かくなったせいかほとんど葉桜だった。。
琵琶湖疏水

釈 迦 堂


釈迦堂(重要文化財) 

 釈迦堂(重要文化財) 室町初期の建築で、中世寺院の食堂(じきどう)の様式を伝える。本尊は釈迦如来像くをまつる。

金 堂(本堂)
金堂(国宝) 
 

 金堂(本堂)(国宝) 三井寺の総本堂。本尊の弥勒仏は天智天皇が信仰されていた霊像で、秘仏として静かにまつられている。現在の建物は豊臣秀吉の北政所により慶長4年に再建された。

三井の晩鐘
三井の鐘楼(重要文化財) 

 三井の晩鐘 慶長7年(1602)の再建。梵鐘は、近江八景「三井の晩鐘で知られる。宇治の平等院、高雄の神護寺と共に日本三銘鐘に数えられる。

弁慶の引き摺り鐘

弁慶の引摺り鐘 

 中世の「山寺両門(延暦寺・園城寺)の争い」を象徴する「弁慶の引き摺り鐘」伝説でしられる。

一切経蔵
一切経蔵 

 室町初期の建築で、慶長7年(1602)戦国大名・毛利輝元により山口県・国清寺より移築、寄進された。堂内には高麗版一切経を収める回転式の八角輪蔵がある。
一切経蔵 
一切経を収める回転式の八角輪蔵

三 重 塔

三重塔(重要文化財) 

 慶長6年徳川家康のより寄進。もとは奈良県・比蘇寺の塔で、室町初期の建築

潅頂堂と三重塔

潅頂堂と三重塔 

潅頂堂 寺流の密教を伝承する道場
長日護摩堂前の枝垂れ桜の前で

枝垂れ桜の前で 

潅頂堂前の門と石の通路


桜と灯篭が綺麗 
桜と灯篭が見事
村雲橋の枝垂れ桜

枝垂れ桜(村雲橋付近) 
本堂と桜並木
本堂と桜並木

西国33番所観音霊場の第14番札所。本尊は如意輪観音(重要文化財)
西国44番札所観音堂 
境内の鐘楼

西国33番所観音霊場の第14場番札所境内の鐘楼

百体観音


百体堂

展 望 台

展望台
展望台より観音堂境内

展望台より観音堂境内 

展望台より琵琶湖

見晴らし台より琵琶湖を望む 

仁王門


仁王門



京阪三井寺駅

京阪三井寺駅  




滋賀歴史の旅(2の3の2)  近江神宮
楼門前にて

 天智天皇が667年にこの地に近江大津京を営み、飛鳥から遷都下由緒に因み、紀元2600年の佳節にあたる1940年(昭和15年)の11月7日、同天皇を祭神として創祀された。天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を設置したことから時計館宝物館と近江時計専門学校が境内に併設さ れている。
 「小倉百人一首」の第一首目を詠んだ天智天皇にちなみ、競技かるたのチャンピオンを決める名人戦・クイーン決定戦が毎年1月に行われている。
 (天智天皇の小倉百人一首 一首目 「秋の田の  仮庵(かりほ)の庵(いほ)の苫(とま)をあらみ  我が衣手(ころもて)は露にぬれつつ」(後撰3.02))

一の鳥居
一の鳥居

楼門の階段
楼門階段

外 拝 殿
外拝殿


内 拝 殿
内拝殿

本    殿

本殿

外透塀。外回廊・神符授与所・楼門
外透塀、外回廊、神符授与所、楼門

京阪近江神宮駅
京阪近江神宮駅





2015.4.13 滋賀歴史の旅(2の2) 義仲寺(ぎちゅうじ)

滋賀の旅(2の2) 国定指定史跡 義仲寺

義仲寺 

 義仲寺は旧東海道に沿った、古くは粟津ケ原といい琵琶湖に沿った景勝の地で木曽義仲公の御墓所。
治承4年(1180)義仲は平家討伐の挙兵をし、寿永2年(1183)5月、北陸路に平氏の大軍を討ち取り、7月京都に入られた。翌寿永3年正月20日鎌倉の源 頼朝の命を受けて都に上がってきた 範頼、義経の軍勢によりこの地で討ち死にされた。 享年30歳。
 その後、年あって、見目麗しい尼僧が、この公の御墓所のほとり草庵を結び、日々の供養ねんごろであった。里人いぶかって問うと「われは名もない女性」と答えるのみである。この尼こそ、義仲公の側室巴御前の後身であった。尼の没後、この庵は「無名庵」ととなえられ、あるいは、木曽塚、義仲寺とも呼ばれた。戦国のころ近江の国守佐々木六角が再建(佐々木六角は近江源氏)。
 江戸時代元禄頃、芭蕉翁がしきりに來訪し宿舎とした。元禄7年(1694)芭蕉翁は大阪の旅窓で逝去されたが「骸は木曽塚に送るべし」との遺言によって、遺骸を当寺に運び、現在地に墓を建てた。
 芭蕉が大阪で亡くなったことはみんなよく知っているが芭蕉の墓がここにあるのは意外といないようである。(以下コメントは義仲寺案内より)

義仲寺への道標(京阪膳所駅前) 
京阪電鉄 京阪膳所駅にある義仲寺への道標

朝日堂前で木曽義仲、義仲寺について説明を受ける

基礎義仲と義仲寺について説明を聞く 

 義仲寺本堂。本尊は木彫観世音菩薩。義仲公、義高公親子、今井兼平(巴御前の兄)、芭蕉翁など31体の位牌を安置する。朝日は義仲公が朝日将軍と呼ばれたことから

義仲公墓(木曽塚)

義仲公墓(木曽塚) 

 亡くなられた当初は鎌倉に遠慮して土を盛っただけのものだったようで、その後このような立派なものになった。

巴御前の碑

巴御前の碑 

 巴御前、兄今井義高、木曽義仲は幼少からの親友だったよう。武勇に優れた美女で、武将として義仲公を助けたという。

松尾芭蕉の墓

芭蕉翁墓 

 芭蕉翁は元禄7年(1694)10月12日、大阪の旅舎で亡くなった。享年51歳。遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため、その夜、去来、其角、正秀ら門人10人により運ばれた。墓碑の芭蕉翁の字は丈艸(じょうそう)の字

芭蕉翁堂

翁 堂  

 正面祭壇に芭蕉翁坐像、左右に丈艸居士、去来先生の木像、側面に蝶夢法師陶像がある。
毎年、5月の第二土曜日「奉扇会(ほうせんえ)が行われる。

芭蕉の有名な句 「古池や蛙飛び込み水の音」

芭蕉の句(古い池や蛙飛び込む水の音) 

芭蕉の有名な句 「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

芭蕉の句(旅に病んで夢は枯野をかけ廻る) 


芭蕉の有名な句 「行春をあふミ(おうみ)の人とおしみける」など19碑が建てれている。
芭蕉桃靑の句(行春をあふミの人とおしみける)


朝日将軍 木曽義仲像

木曽義仲像 
清和天皇の血を引く源氏の本流
芭蕉翁像

芭蕉像
 
芭蕉が用いた椿の杖

芭蕉の直筆の字

芭蕉の直筆の字

2015.4.13 滋賀歴史の旅(2) 石山寺~瀬田の唐橋=義仲寺=三井寺=近江神宮

2015.4.13 滋賀歴史の旅(2) 石山寺~瀬田の唐橋=義仲寺=三井寺=近江神宮
 石山寺参詣後山歩きの予定であったが、一日中雨の予報で山行を中止し歴史歩きに変更。
 石山寺~瀬田の唐橋=義仲寺=三井寺=近江神宮=石山駅

滋賀歴史の旅(2の1) 石山寺~瀬田の唐橋

石山寺東大門

 

 

東大門

石山寺東大門

 石山寺は聖武天皇の勅願により天平勝宝元年良辯僧正によって開基され、歴朝の尊崇あつい由緒ある真言宗の寺院である。西国巡礼13番札所。本堂は縣下木造建築最古のもの。本尊観音は勅封になっている。堂内「源氏の間」は紫式部が「源氏物語」と伝えられ、本堂下の御堂は蓮如上人の母が石山観音の化身だといわれるので、その形見と伝える蓮如鹿の子の小袖を安置。多宝塔は鎌倉期の建築で鐘楼・大門は共に鎌倉初期の建立。境内の奇岩は石山の名の出た石で硅灰石からなり、天然記念物に指定されている。(石山寺しおりより)

参  道
参道

本堂入口
本堂入口

源氏の間

源氏の間(紫式部が源氏物語を書いたところ)

紫式部はここで「源氏物語」を書かれたいわれる。


鐘  楼

鐘楼

鎌倉初期の建立
多宝塔
多宝塔

鎌倉期の建築

本 堂
本堂

式部文庫と枝垂れ桜

式部文庫と枝垂れ桜


心経堂
心経堂

月見亭・芭蕉庵
月見亭と芭蕉庵

多宝塔と硅灰石

多宝塔(国宝)・硅灰石(天然記念物 寺名の由来となっている

御影堂
御影堂

毘沙門堂・観音堂
毘沙門堂・観音堂

本堂への階段

本堂への階段


瀬田の唐橋
瀬田の唐橋

瀬田の唐橋











プロフィール

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Author:llmmcc
低い山を歩く会は1962年創設の山岳会です。
中高年を中心に、30代から70代まで幅広い年齢層の会員が、日帰りハイキングや夏山縦走、沢登りや岩トレ、雪山登山ま
で、オールラウンドに活動しています。
随時会員募集中です。

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